1.未病潮流について
未病と言う言葉は約2000年以上前に中国(後漢)で生まれました。中国最古の医学書といわれる黄帝内経素問に「未病」の原点をみることができます。
ここには「聖人不治既病、治未病」と書かれており、総じて病気以前の状態をさし、病気になる前の未病を治せるのは“聖人“とされておりました。
中国では上工であり、まさしく名医をさしております。
西洋医学で言う予防医学の概念がこの時期にでき上がっているのには驚きます。
しかし、CTはおろか血液検査もレントゲンも無かった時代です。
自覚症状も少ない未病を診断することは非常に難しく、秘伝となりますが、次第に誰も出来なくなってしまったというのが現実です。
特にモンゴル(元)、清、そして毛沢東と多種人種、イデオロギーの異なった民族など多くが入れ替わった中国では征服された文化は悉く焚書坑儒に よって破壊され、医療としての未病は5世紀で消滅したと考えられています。
幸いなことにこの黄帝内経は日本へは7世紀頃、遣隋使、遣唐使を通じて写本として中国よりもたらされておりました。
幸い日本では京都仁和寺にその黄帝内経の写本が保存されております。(図-1)現代の未病研究は日本発といっても過言ではないのです。
2.”聖人は未病を治すとは”の解釈。(名医か一般人か)
さて、仁和寺に残された未病の概念は日本では脈々と息づき成長を遂げます。
18世紀になり貝原益軒の書、養生訓の中に「未病」に関して述べられております。
養生訓の中では「聖人が未病を治すという事は~」という項目があり、ここで「自分がつつしんで養生をし腹八分に保つことが未病を治すことです」と述べられています。
すなわち”自分で養生して聖人になりなさい”としているのですね。これは刮目すべきことです。
現代未病の骨子でもある”自分の身体は自分で守る”、”その守れるところがまず未病の領域である”とするのと同一的考えです。
そして「聖人とは”あなた”である」とするのも”現代未病”の意図するところです。
しかし日本でも明治になると脱亜入欧により西洋医学一辺倒の時代となり未病は一旦封印されてしまいました。そして1990年代に入り少子高齢時代になるとこの未病の重要性が再認識しだしたのです。
世界に先立ち学術的に科学しようという有志が集まり、”東京未病研究会”が筆者をはじめ、大内義尉(現虎の門病院院長)らと共に1995年創設されました。
さらに1997年には大阪の研究者達も加わり日本未病システム学会が誕生しました。
2003年には第7回アジアオセアニア国際老年学会のシンポジウム(座長筆者)が開催され、ここで中国、韓国、タイ、アメリカの研究者と協議し高齢社会における「未病」の重要性が確認され、この文字を”Mibyou”と発音することが正式に国際的に承認されるにいたったのです。
そして2013年に開催された第20回日本未病システム学会では“未病八策“をテーマにして、ストレスチェック、かかりつけ薬剤師、検体測定室、機能性食品制度などの原型がシンポジウムとして行われました。これらは未病を中心概念としたシステムとして現在の医療制度の中で静かに実現化されてきております。
3.身体状態のパイを増やす未病
未病が注目されているもう一つの理由は国民皆保険制度の持続に貢献するからです。
1961年、世界に魁けこの「国民皆保険制度」が日本で樹立されました。
このシステムは日本国民が世界一の長寿国になったのに多大に貢献していると言えるでしょう。
しかし、この制度は身体状態が「健康と病気」に二分された中でのルールです。
病気になれば手厚く保護されるのは長所ですが、これを維持するには健康な若者が多くいることが前提です。
問題はその母体となる人口構成が平成より少子高齢社会となり変化してきたことです。
このままではこのシステムは持ちこたえられず危うくなるのは自明の理です。
そこで発想を変え、第三の身体状態として“未病”を創出してみましょう。
これで心身状態のパイが広がるのです。
この未病の領域を「養生領域」とする事で“自助“でケアをする事が可能です。
「腹八分を実行する」のが聖人である自分なのです。思考のパラダイムシフトが求められて来たのです。
さて、令和を迎え日本国民は国民皆保険制度が出来た58年前と比べ健康情報および医療知識は格段と増えています。
健康民度は上がって来ているといえます。
スマホなどで健康情報がスマートに見られる現在、自助で改善出来る心身状態(未病)を認識することは“当然“となって来る時代です。
AIを活用した5Gの世界では未病の可視化が可能となります。
血圧、血糖、心電図、脈拍は言うに及ばず脳波も自由に自分で操れる時代がすぐ来ております。
自分の脳波を見ながらストレス改善を自分で行えるのです。
これが身体意識のパラダイムシフトであり、国民皆保険制度を維持するブレイクスルーとなると考えられます。
4.現代未病のカテゴリーとしての西洋医学的未病と東洋医学的未病
さて、当初は「未病は病気に向かう状態」としていましたが、さらにこの状態を東洋医学からも西洋医学からもアプローチできるように現したのが図3です。
健康と未病と病気の領域が明確にされております。この特徴は未病を「検査」という切り口で二つのカテゴリーに分類したことです。
1)西洋医学的未病:「自覚症状はないが検査をすれば異常値を示す状態」
2) 東洋医学的未病:「自覚症状はあるが検査では発見できない状態」
東洋医学的未病とはしびれ、倦怠感、冷え、胃もたれなど自覚症状をさしますが、いろいろな検査を行っても異常なし、とでる状態です。
最近では「機能性ディスペプシア」がこの範疇に入ります。
強い胃もたれが有るにもかかわらず胃内視鏡的には何ら異常もみられない状態です。
これらは東洋医学的未病の範疇に入ります。
耳鳴りなども検査では分かりにくく東洋医学的未病の範疇に入ります。
将来は画像診断や臨床検査の進歩でこれら東洋医学的未病に分類されていた一部は病気の分野に移行するかと思われます。(表-1)には西洋医学的未病と東洋医学的未病の代表的なものを示しました。
さて、西洋医学的未病に属する「自覚症状は少ないが検査では異常値」に属する状態には肥満、高脂血症、境界域糖尿病、境界域高血圧症、高尿酸血症、無症候性脳梗塞、未破裂脳動脈瘤、発症前認知症(MCI)、潜在性心不全、脂肪肝、B型肝炎C型肝炎のキャリア、メタポリックシンドロームなど多くのものが該当します。
これらの状態には生活習慣病の改善で健康に向かう状態と治療が必要な状態とが混在します。さらにこの表には出ていませんが遺伝子診断で同定できる先天性未病も加わることになります。
未病の範囲は今後検査技術の発展とともに広がっていくでしょうし、スマホやウエアラブルの進歩で未病の見える化が進むのは間違いありません。
5.自分で養生できる未病1の発見
図4は“自覚症状のない未病”をさらに〈未病1: 自立で改善が可能な状態〉と〈未病2:医療保険で 扱う状態)に分類した図です。これは未病状態はリ バーシブルであり、自己努力次第では健康に向かう 状態であるからです。
日本未病システム学会や日本未病総合研究所でのガイドラインとしてはこの〈未病1〉と〈未病2〉の区別を提唱しております(図-4)。
この<未病1>と<未病2>の分類のポイントは器質的変化や臓器障害があるかないかで分かれることです。医療の介入の必要性があるか、自立で改善に向かわしめるかの判断点です。
たとえば画像診断でわかる無症候性脳梗塞や脳動脈瘤の場合は器質的変化が既に生じているので〈未病2〉となり、糖尿病性腎障害の指標である尿中アルブミンがでていれば〈未病2〉となり医療の介入が始まります。
腹部エコーで発見される脂肪肝や無症候性胆石もこの未病2になります。〈未病2〉は積極的に医療介入し医療保険の対象です。
それに対し未病1〉の場合は画像検査やME機器による検査では異常所見が認められない状態を指し、かつ血液検査レベルでも検査基準値の10%以内の異常である場合に適応しております。
分かりやすく言えば特定健診の保健指導期がほぼ未病1のステージに当たります。(表2)
この範囲に入っている内は腹八分などで食生活の改善、適度な運動など生活習慣の改善を図ったり、時にはサプリメントの活用もあります。
対象となる一般生活者は対応しやすくまた診療を行う側にも納得のいくガイドラインで有るかと思います。
未病1の対策にはセルフメディケーションが主となり、「自分で守れる範囲は自分で守ること」ができ、継続して管理しやすくなります。
医療経済的には約2兆円の削減になると試算されております。
国民皆保険制度の維持につながると考えられます。
そしてこれらの未病をケアする事で次の世代との協調関係を増すのにも有効な手段になり得るのではないでしょうか。